名古屋人kuniの日日是好日

名古屋人kuniの日日是好日

人生50年で学び経験した福祉/ボランティアやスピリチュアル/セラピーの歩みを綴った自分史、誰かの励みや気づきになれば嬉しい!

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魂との対話、思いっきりスピリチュアル内容です

今朝起床時に思ったこと

魂が主で心が従、体が属。だから魂向上のために心身がボロボロになる出来事も自分で設定したりする。

天国住民が肉体の三次元に降りることはほぼ無いが、大きな魂は更なる向上を求めて最低最悪な環境に生まれ落ちることもある。

それは人のためにするのが当たり前の天国ではその有り難さに気づけないので真逆の環境に身を置いたりする。

肉体の人生はせいぜい100年、壮大な霊界から観たらほんの瞬きの一瞬の出来事です。

これまでにこんな福祉系ボランティア活動を行ってきました

社会人になって職場にいた、ろう者と出会い「手話」を知ったのをきっかけに、「要約筆記」「親の居ない子供の施設訪問」「点訳」などのボランティア活動にのめり込んでいきました。

☆ボランティア活動で印象に残った言葉
・もう一人ぼっちじゃない【要約筆記活動時】
・一人では何も出来ない、しかし一人が始めないと何も始まらない。
・熱い心と冷えた頭【活動には情熱と冷静な判断が必要】
・健常者をボランティアを辞めれるが障がい者はそれを辞める事は出来ない

☆障がいがある人もない人も共に楽しく生きられ社会を目指して!
ボランティア活動の原動力は「魅力は色々な人と出会えること、出会いから感動をもらえたこと」です。

○ボランティア活動
・高校を卒業して千葉県の我孫子市で手話出会い、全通研北海道集会に参加。
・難聴者の存在を知り名古屋の要約筆記者登録、要約筆記サークル活動を開始、邦画に字幕入れ作業を行う。
名古屋市北手話サークル、自主手話サークルにて主宰と情宣活動。
・わっぱの会(共生福祉会)のすずらんで障がいを持った仲間と共に働く。
・さわらび園のボランティアスクール参加
三重県玉城町の手話勉強会で学習
愛・地球博でボランティア参加
・要約筆記筆記サークル「まごのて」で活動
点訳サークル「大樹会」で活動
・愛知県/名古屋盲ろう者向け通訳・介助員として活動

○取得資格
受講(ボランティア)
PHP初級ゼミナール(1987年6月)
・ボランティアスクール修了(あさみどりの会)(1987年7月)
名古屋市要約発起奉仕員養成講座(1987年10月)
・全国要約筆記指導者養成講座(中級・全国)(1991年7月)
・中級手話講座(1991年7月)
・ボランティアリーダー研修(愛・地球博)(2003年8月)
・手話技能検定4級(2004年7月)

資格 (福祉系) ・介護職員初任者研修修了(2014年5月)
行動援護従事者養成研修修了(2014年9月)
認知症サポーター養成講座修了(2014年10月)
・実務者研修(2016年7月)
介護福祉士(2018年4月)
発達障害コニュニケーション初級 指導者(2019年12月)

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心身の不自由さを通して当事者のご苦労を経験しました

facebookからの転機】

この一ヶ月左足の甲をぶつけられて片脚を引きずって歩き、痛みが弱まった頃に段差から転倒して右足の太股を強打して今度は右足が不自由になりました。

この二ヶ月新しい会社で慣れない業務をしてストレスMaxで精神的にダウンする機会も多かったです。

障害者ボランティアやセラピストをやって知識では当事者の不便さや大変さを理解したつもりでした。実際に片脚が自由に動かずに精神的に不調に陥ってほんの僅かですか分かるようになった感じです。

と言っても怪我もストレスも期間限定で慢性の方の気持ちとは程遠いとは思います。

職歴・人生の足跡8/8

1.新社会人になって手話との出会い

2.要約筆記との出会い

3.初めての転職

4.やりたかった仕事に移ろうとしたが・・

5.自分の行動が原因で職場を去る事に・はづき虹映さんとの出会い

6.初めての派遣会社に入って・鈴木真奈美さんとの出会い

7.初の民間工事の仕事をして

8.新たな職種に就くまで


2014年11月(49歳)大手太陽光発電の工事会社入社 大手の太陽光発電の工事会社に電工として入社しました、きっかけはネットの転職情報からでした。

この頃は今まで施工管理の経験を生かせば転職は楽になると分かっていましたが、全国を転々と現場管理を行う業務には関心がなくなり日帰りで現場作業員(電気工事士)に魅力が出てきました。ただ施工管理会社が手当てとして支給している現場管理手当てや出張手当ての小遣いが無くなる事が気がかりでしたが興味を優先させました。

現場作業員の経験がない事を面接で伝えての一次面接(試験)は合格して二次面接に望みました。 自宅近くの名古屋支店の希望がありましたが、面接時に岐阜営業所勤務は可能かの質問に「大丈夫」と答えたために二次面接は配属予定の岐阜営業所で行われました。

一次面接が通ったあとに名古屋支店勤務の気持ちが湧き上がり、本社の人事部へ配属先の要望連絡を入れました、希望は二次面接で伝えて下さいとの事です。

場所は事前に確認済みでしたが見つからずにまさかの30分以上の遅刻でした、更に勤務先変更を伝えましたので二次面接は不合格を覚悟していましたがまさかの合格通知がありました。

二週間の研修では基礎的な挨拶、清掃等の鍛錬が続きました。

印象深かったのは新人教育で教育センターに二週間缶詰めで埃1つない掃除の訓練とセンター内の挨拶の実施及び24km競歩で目標は「グループ全員で時間内に帰着」でした、途中でもう駄目かと思いましたが励まされ目標を達成したことです。

配属先の勤務状況は厳しくでは朝は8時半とありましたが現場着の時間なので7時過ぎに出社でした。そのために5時半起きで夜は22時、23時との事でした(入社当初でしたので私の帰りは20時、21時で帰れました)また休みは月1回で現場の都合で明日は休みと言った感じでした。

合わせて上司から目の敵にされている感じがして同僚に聞くと、その上司は自分が持っている電気の資格と同等以上の人が入って来るとライバル意識を燃やすタイプだと分かりました。

この会社を受ける前にアルバイト先の介護事業者で面接を受けて合格しましたが、手当の支給は数年間の勤めた後に満額支給でそれまでは減額支給でした。給料総額を家内と検討しましたが高校の下の娘が在学中はやりくり出来ないので卒業後の再来年まで待つように話しがありました。

良い所があればと思って転職情報誌を見ると「社員第一」の「通信会社」が社員募集していたので面接を受けました。

社長と面接が行われ即不合格でした、理由を伺うと「通信工事に対する意欲(質問)より圧倒的に給料や保険加入の待遇の質問が圧倒的に多いので仕事を手段として取り組むように感じられ職務に意欲が感じられない、通信工事の再開が夢と聞いたが入社すれば夢が現実になる。」でした。 私(社長)の思いとして「スキルは充分あり雇用すれば社員は楽になると思うが待遇面で不満が出て去っていく」イメージがあり不安が残るためでした。 生活のために仕事に就く心の内が見透かされ、通信工事に対する以前の気持ちが失われた事に気付かせて頂きました。

まずは今の仕事を誠心誠意勤める事が優先するのではとアドバイスまで頂きました。それをきっかけに過労死するまで働こうと気持ちが切替りました。反省を生かして死ぬまでやる気でいました。

心境が変わると家内から大変なら介護の仕事に変わってもよいの話しがありました。どう事態が変わったか分かりませんが、今のまま続けて体を壊しては大変と転職の同意が出ました。

上司の対応は相変わらずでしたが同僚から電気工事を教えて頂けるようになりました、ただ上司には思っている事を言えない環境に疑問を持ちました。ある日に自分の本音を伝えると上司は激怒して退社につながりました。自分の勝手な意見を言うのはどうかと思いますが自分の思いは伝えたほうが良いと思います。

2014年12月(50歳)大手太陽光発電の工事会社退職 44歳~50歳 派遣会社と工事会社を約5年務めました。

退職後の翌年(翌月)に営業の同僚から準社員(入社後3ケ月以内の試用期間の社員)に退職勧告が行われ退職する連絡がありました、暫くたった時に「太陽光ブームで社員を千人増員の予定が目論みが外れて収益が悪化したために増員分のリストラがあった事」を知りました 結果的に上司の顔色を窺っていても退職する可能性が高かったように思いました。

2015年1月(50歳) 今まで建設業の現場工事、現場監理から50歳にして始めてのわっぱの会を母体とする生活援助ネットワーク(介護職)の訪問介護職に転職になりました。1988年(24歳)の25年前に就職した縁がきっかけで2013年の半ばに施設長からアルバイトのお誘いが来て仕事の休みに勤めていた流れで採用でした。

2020年1月(55歳) 夜間勤務に疲労と日曜日休み取得を目的で2018年11月から約1年アルバイトをしていた児童デイサービスがきっかけで会社は異なりますが平日出勤で日曜日の週1回シフト性休日の子ども発達サポート・児童デイサービスに転職しました。

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初めてのコンタクトと流れの急変を感じて

この前の21日(金)の仕事休みにコンタクトレンズ作成のためにキクチメガネ専属の眼科に行きました。

きっかけは19日(水)に転倒した拍子に頭を打ってメガネが大きく変形したからです。メガネ修正の時に視力検診を受けて以前の右目視力0.7から0.4に大きく下がった事の原因が頭部打撲による眼圧異常の可能性があるので眼科受診を勧められました。

眼科受診とコンタクトレンズ処方箋を別々の眼科に見て貰うのは手間と考えてキクチメガネ本店三階の眼科なら予約なしで受診出来ると聞いて所要の後に訪問しました。

結果過去に白内障手術をして人工レンズを入れた左眼同様に今回視力低下が見られた右目のレンズに濁りがあるので白内障手術可能な眼科での受診を勧められました。

白内障手術の可能性が高くその際には視力が0.7に確率が高いので術後のコンタクトレンズ度数確認のために再度の受診が必要と聞きました。

職場では多動の子供たちの安全のために原則メガネ禁止で不便を感じていたので後日のコンタクトレンズ買い替えは仕方ないと思って処方箋を貰ってコンタクトレンズを購入するために検眼とコンタクトレンズの脱着を行いました。

動画で一通り見て実際に取り外しを行いました。左眼はスムーズの取れましたが右眼は何度やっても駄目で充血してきたので本日は一時中断になりました。

翌々日の日曜日に再度の脱着の打診をしましたが混んでいるので不可能で平日を勧められました。2月の最終週は六連勤で翌週の日曜日まで休みが無いので一時保留になりました。再開は眼科受診で白内障手術後の日程を勧められました。

この日はコンタクトレンズが外せずに購入不可能になり、それまでにアクシデントが続きました。入社した1月18日(土)は子供に足を蹴られて左足が痛んで歩行が不自由になって、良くなった頃の2月19日(水)に踏み外しで右足と頭を強くぶつけて右足に痛みが残って不自由になりました。

診断を受けたくても2ヶ月近くになっても保険証が出来上がらずに割高の治療費の立て替えと後日に保険証持参で差額返金が手間で足をひきづりながらの通勤を長く行っていました。

職場ルールでのメガネ取り外しや着脱の手間からコンタクトレンズを作成してストレスを減らす予定が達成出来ずに凹みました。

一晩寝た翌日の土曜日の出勤時は足の痛みが弱くなっていました。この調子で保険証が出来上がっていればと思いましたが、そんな上手いこと行くわけないと会社に着くと何と保険証が届いと渡されました。

自宅近くの勤務を望みましたが当面研修目的で50分程の本校に勤務することで入社しました。その後に人員の関係で自宅近くの勤務は暫く先になるかも知れないと聞いて諦めもありました。

保険証を渡された午後の休憩時に「4月から自宅近くの勤務地に変わる事が決まり、3月は本校とそこを行き来する勤務になる」話しを聞きました。

これまでのトラブル続きでしたが、このタイミングで急激に流れが良い方向に変わる感覚を覚えました。

職歴・人生の足跡7/8

1.新社会人になって手話との出会い

2.要約筆記との出会い

3.初めての転職

4.やりたかった仕事に移ろうとしたが・・

5.自分の行動が原因で職場を去る事に・はづき虹映さんとの出会い

6.初めての派遣会社に入って・鈴木真奈美さんとの出会い

7.初の民間工事の仕事をして

8.新たな職種に就くまで


2013年4月(48歳)太陽光発電の総合商社入社 ネットによる就職活動を始め転職案内会社の希望する職種は今までの経験が生かして下水道処理の電気設備か太陽光発電を考えていました。 下水道は機械的な要素が多いので純粋に電気が好きの理由で太陽光発電を選びました。親身の担当者に当たり次の会社は太陽光発電の総合商社の工事部門に社員として決まりました。

民間相手の会社へは初めての就職しました。入社した会社は中小企業ですがコンプライアン (法令遵守)が厳しい会社で、諸法令に基づいて仕事を行っているので官公庁相手の仕事との違和感はありませんでした。入社後は早速大阪に出張して改修工事に従事しました。

入社時の担当現場三重県伊賀市の工場の屋根にパネルを設置して高圧連係する現場担当の予定でしたが諸事情で契約が遅れて三重県伊勢市の野原の中にパネルを設置して区分ごとに低圧連係する現場担当になりました。

奇しくも伊勢神宮遷宮祭と重なり宿に苦労しました、工事は当社が元請けで下に二社あります。一社は太陽パネルを設置する基礎の設置業者、もう一社は協力店登録のある電気工事業者です。

当初は基礎設置の二週間は現場常駐の予定でしたが、終わる間際に現場で事故が起きました。 施工部隊が立ち上がってから初の労災事故が発生して、事故対応で労働基準監督署に追われました、これが原因で完工までの3ヶ月間現場常駐になりました。 弱り目に祟り目で現場事故に続いて交通事故(自損)などが連続しました、途中で気を取り直して予定の期限内に完工しました。

以前に官公庁工事で他社が事故を起こした際の責任者の心痛が始めて分かった気がしました 、労働基準監督署対応は同様かと思いますが発注機関との対応は想像を絶する心労があった事を理解しました。

この現場が終わる頃でしょうか25年以上前に勤めた授産施設の施設長からの電話がきっかけで介助のアルバイトを行うようになりました。 次の担当現場の伊賀が翌年2014年の5月のGW明けから始まることが判明したので1月~4月までの毎週日曜日に介護職員初任者研修を受講して資格を取りました。

2年目は三重県伊賀市で高圧連携で工場の屋根に太陽パネル設置現場を担当しました。

工事は順調に進んで予定通り5月から現場が始まり8月に終わりました。上司との間に徐々に軋轢が広がっていきました。きっかけは社内通達があった処理をしない=上司を無視していると注意を受けたことからでした。通達は全て社内の電子掲示板で行われますが改正や発信量が多すぎて把握出来ずに誤った社内処理をしては上司の怒りをかっていました。

そんなことがあって、この上司の元には居たくないの想いが強まっていきました。人間関係で問題が発生したのは始めての経験でした。 現場処理が落ち着いた9月始めに上司へ進退伺いをすると即退社承認されました。 ただ8月、9月と退職者が続くことで周囲の動揺を減らすために10月退社、直前までは周囲に内密にするように指示がありました。

私の退社が社内の電子掲示板で退職が公になった後に送別会をして頂きました、その帰りに営業課長から技術者が次々に辞めている事に心を痛めている事を知りました。

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