くにさんの日々是好日

くにさんの日日是好日

介護福祉士でセラピスト修行中のブロガーが綴る日頃感じたアレコレ、SNS投稿記事の紹介

運転免許免許更新から人生の流れ・この先を感じました

今日は平針の運転免許試験場で免許更新しました。

今回は免許更新の体験から今までの人生をを振り返って「人生の意味(らしきもの)」を実例を添えて紹介します。

「想像を絶する苦悩がなぜ起きるのか」の意味が見えると同時に、「これからどう生きるか(本来の生き方)」と「気づきの時期」を紹介します。

免許更新は誕生日から前後に約一ヶ月ありますが、何事もせっかちな私は一ヶ月前の更新可能日に開始時間を目処に出発しました。

地下鉄の通勤帯に乗りましたが、この前に10ヶ月ぶり位にラッシュに遭遇して覚悟はしていましたが、予想よりはマシでした。 前回の8時と今回の7時半乗車の30分違いが大きいのかどうか解りませんが・・

目的地に向かう時は人の流れに従って進んで過去に問題はなく時間厳守でなかったのでお任せコースで着きました。

道すがらの事ですが、地下鉄からバス停に乗り換える時に年配の男性が行き先を聞いていました。 これを見て自分が以前に「目的地までの道順や時間は予め確認する」べきと「べき」に捕らわれていた事を思い出しました。

確かに事前にきっちり調べる事が必要な状況もありますが「べき」ではなく、「気持ち良く」行動するために心境が変わりました。

会場に開始(8時45分)から2~3分遅れで到着すると長蛇の列が出来ていました。 しかし9時5分過ぎ位から空いてきますので開始から30分遅れ位に着くのが良かったように思います、三年後の更新時の状況は分かりませんが・・

昔は顔写真を持参した記憶がありましたが、今は不要で免許のICカード用のパスワード4桁+4桁が必要になります。

手数料を支払い、申請書に必要事項を記載して適正(視覚)検査に進みました。 ここでも行列が数組あり、進みが早そうな列に並びましたが結果的にはどこも同じ進み方だったように思います。

講習は10時10分からで開始までに約50分ありました、講習の中に違反点数の話しがありました。

【ここからは反省の想いも含めて交通違反を通し感じた主観的な話しに変わります】

派遣会社に入ってある会社に出向してから在籍期間に1年毎に違反が続きました。 1年目姫路で速度違反、2年目は大阪で駐車禁止違反、3年目は最終出勤日の平成24年(2012年)12月に自宅近くで信号無視で捕まってから今日に至ります。

その会社は割と時間に余裕を持って行動出来るのに関わらず違反が続きました。

前の会社は大抵時間ぎりぎりで出発が続いていました、ある日に先を急ぐ余りに高速道路で覆面パトカーを煽って捕まりました。 ゴールド免許の所有のお陰で速度違反ではなく追い越し車線を走り続けたの方の軽い点数で違反キップを切られました。

それ以前は団地の駐車場に入れるのが面倒で路上駐車で警告ステッカー(駐車違反)が一度と10年スパンで1回の違反がありました。 この期間は1年に1回と(言い訳になりますが)注意しても繰り返す特異な期間がありました。

今思えば多分この辺りから人生のステージ変わりに気づけのサインだったかと思います。 当時はスピリチュアルや心の事は、今とは比較にならない程に知識・経験が不足していました。

その特異な期間中の最後1年間はセラピーの資格を取りまくりました(と言っても数点ですが)のも何かを無意識に関知したからでしょうか?!

精神的にもう限界と思い、その派遣先を変えて頂くように派遣会社の担当者に伝えて変わりました。 その頃は景気を上げるために公共工事(ハコ物)への予算が増大していた時期でした。

翌年は1~3月は携帯電話の基地局工事の施工管理会社へ派遣になりました。 現在は落ち着きましたが、当時は携帯電話会社間の競争が激しく管理案件も多く帰りは終電でした。 派遣先からの派遣解除が3月末と通知があり、それまでに次の派遣先が見つからなれば派遣会社からも契約解除と通知があり、次が見つからないまま首切りになりました。

4月から太陽光発電所の建設工事の現場管理をしました。 太陽光発電がブームで、どこも技術者を募集にしている時期でした。 私が選んだ理由は以前に太陽光発電の施工管理と下水道処理施設の電気設備の施工管理を担当して経験を生かせる事とヤリガイを感じたからです。 地下(屋内)か屋外かの違いですが、どうせならと「太陽光発電」を選びました。 工事の性格上、日向にパネルを設置しますので真夏は死にそうでした。

約1年半勤めました。 1年目の現場は伊勢で伊勢神宮遷座の時期でした、この事でもピントこずに現場には当初は二週間常駐予定でしたが現場事故、車両事故とトラブル続きで大幅な延期(2ヶ月)になりました。

人生初の現場事故でした。 それまでは官公庁の現場で厳しい安全管理が求められ、時には1社が事故を起こすと全社作業中止の上で改善措置が必要になって事故を起こされた会社の方が涙ながらにお詫びに来られた経験はありました。 今回は当事者として労働基準監督署の調査、是正措置対応には心底疲れました。

もし前職で事故が起きた場合は関係官庁とのやりとりの上に発注者(国の機関)との対応と各社に工事支障を与えた心的負担がどれほどのものかと思い知らされました。

☆セラピーを受けたところハートチャクラの損傷があったためにインナーチャイルドの癒やしを受けました。

2件目は伊賀の案件では上司との折り合いが更に厳しくなりました。

要因として日々社内ルールに新規、変更があって社内通達が1日に何十と届くが対応が仕切れずに古いルールでやったり、メールの誤字脱字が続いてきました。 上司からこれ以上続けば「反省なく反抗的でやる気がない」と判断すると言われました。

伊賀の案件は本来は入社後の初案件でした。ここはその1年前に下見に来てからズルズルと更に1年伸びました。 入社後に客先に現場責任者と挨拶した時は三人目の交代でした。 これ以上の交代は不信感を与えると思い、何とか無事故で無事竣工までがその時の想いでした。

失敗続きで悪化する上司との関係を改善しようとEFT,ヒプノセラピー,レイキなどを受けました。

伊賀の現場を無事終えて職場に戻ると後輩二人が8月、9月と続いて退職する事を知りました。 フッと10月は自分の番と思うと気が楽になりました、辞表のことを上司に相談をすると分かったと速やかに通りました。 ただ連続して三人の退職は影響が大きいので直前までは口外しないように依頼がありました。

昨年の11月から同じく太陽光発電所の工事の会社に転職しました。 人事部の一次面接で「勤務地が名古屋でなくて、岐阜でもいいか」の問いに大丈夫ですと答えました。 その後に今までと違い単独で動ける現場管理ではなく、早朝に会社に集まって現場に向かう形態のために自分を誤魔化して無理をしても長く続かないと思い直しました。

一次面接合格の連絡時に人事部にその趣旨を伝えました。 二次面接を配属予定先で行うので、そこで「要望を伝えたらよい」と話しがありました。 下調べしたにも関わらずに目的地が分からずに面接時間から30分以上の遅刻になりました。 駄目かと思いましたがお詫びも含めてと面接会場に行きました。 会場は思いのほかに感じが良く、遅刻の負い目もありましたが、「入社して直ぐとは言わないが、将来的に名古屋勤務をお願いしたい」の趣旨を伝えました。

二次面談不合格も覚悟していましたが、まさかの合格で更に名古屋勤務になりました。人事は名古屋枠は埋まったように聞きましたが不思議な感じでした。

入社後の二週間に渡り福岡での基礎研修があり、その時に岐阜に配属された方とお会いしました。その方は辞退さた方が一人いたので入社出来たと言っていました。

名古屋勤務が始まると上司は自分に厳しい感じがしましたが、新入社員の故に厳しくしていると思っていました。

先輩からと聞いた話しでは「上司と同じ1種電気工事士施工管理技士を持っている人が入社してプライドを傷つけられたので厳しく当たっている」と聞いて最初はまさかと思っていました。

ここで人生を振り返って 【人生方向転換期の合図】をまとめました。 1、今までに経験した事のない大きな事件や事故が起きるて転機に気づけのメッセージが始まる。 →歩道の青信号の点滅開始期 →まあこの時点で気づかなくても(渡っていても)仕方ないか 2、「転機」に気づかないと小さく防ぎようのないアクシデントを定期的に起きる(私は毎年の交通違反が3回(年))。 3、本人や周囲が協力しても逃げようなのないプレッシャーが発生してくると同時に、その後のフォローとなること(人)が現れる。 →歩道の青信号点滅終了時期 →おーい、ちょっとー気づけよ 4、2の時期より短い期間に、ドカンとやってくる(1年目の工事事故等連発、2年目に上司とのどうしようもないすれ違い)、自他共に強制的に方向転換、強いフォローも入る →歩道の信号は赤になっても渡っている状態 →いい加減にしろ! 5、早朝から深夜まで土日休みはなく、現場が無い日に月1程度の休みで且つ上司からは目の敵にされた日々が1.5~2ヶ月続きました。 私はここで過労死してもやむを得えず、悔い無しと腹を括ると周囲の方からフォローを頂けました。

多分そのまま続けていたら過労で倒れるか、起き上がれなるなど強制停止。心屋仁之助さんの「ブレーカーが飛ぶ」状態になっていた気がします。

ある日に社内No.2の方と組んで現場に行ってトラブルになり「私とは組みたくない」と上司に発言があった事を聞いて心のブレーカーが落ちました。

「これまでか!」の想いが浮かびました、翌日の仕事終わりに上司に退職の相談を持ち上げると、人事権のある所長と話してくれと言われました。 所長と話すと所長から上司に確認、上司は「仕方ないですね」の一言でした。

試用期間中のために即日退社でも良いので、退職日を含めて書類に書くように指示がありました。 退職書類の中に「出戻りの可能性」の記載欄があったのは驚きました。

話しは転職先に変わります。 転職先は25年前に一度勤務していて現在は介護のパートとして関係があります。 パートを始まる時は転職までは考えていませんでした。

前職の退職後の勤務先として面接を行って合格しましたが、面接の直前に給与面が引き下げられた事のお詫びが面接者からありました。 それでは厳しいので下の子供が約1年半後に卒業した、時点で受け入れ枠があれば転職する話しで止まっていました。

急遽転職が可能になり確認しました、既に面接は合格しているので給与面で折り合えば入社可能の返事がありました。 翌年の2015年の1月から受け入れ可能との連絡もありました。

ある方が25歳でセラピーを開発したが、もし25歳に見つからずに苦悩の中で探し求めて50歳になっていれば更に深いものになっていたと書かれていましたがなる程と思いました。

もしサインにいち早く気がついて行動したなら、この5年間の辛い思いはなかったかも知れません。

しかし、この人生のどん底でなければ会えなかった方、平穏無事な毎日では決して関われない方も多くいました。 人生には決して無駄な事はありません、あの時にこうしておけば良かったと後悔し続ける時間が無駄かと思います。

同じ事を障がいを持った方から聞きました、私に障がいが無ければ人生で素敵な(ボランティア)方に出会い関わる事はなかった。 障がいを持つ事は個性の1つで不便であるが不幸ではないと。 色んな障がいを持った方がいますので決して全員の想いではありませんが心に染みる言葉です。

過去の出来事を将来に生かせる「反省」することは時に必要かも知れませんが1度きりでいいと思います。

これからの時代は自分の想い(自分軸)を大切にして上昇していく方と、人の目(他人軸)「べき」で下降していく方の両極化すると言われており、私もそのように感じます。

下降していく人生にも意味があり下降の究極も上昇の究極も、とどのつまりは同じで「陰極めれば陽になる」です。

私の半世紀はその事を体験から学びました。 現在が転換期の真っ最中の方に寄り添えられる体験をしました。 もし一人でも私の言動で救わればこれに勝る喜びはありません。 そのことに気づかずに鈴木真奈美さんのように何百人、何千人の方を救い感動の涙を味わいたいと熱願していました。

介助で出合う方が「笑顔」になればいい、彼らの「笑顔」が見れるように時に悩み、時に自問自答していくミチを歩むことが現時点では私の生まれ前の約束だったように思います。

今思えば渦中でどうしようもないトラブルやアクシデントが起きた時でも「腹を括り覚悟して受け入れる」ことで窮地から新しい局面が開けてくる感じがしました。

運転免許更新帰りに喫茶店から出て、フト空を見たら、いつも見慣れた風景が不思議と輝いて見えました。

長文を最後までお読み頂き有り難うございます。