ほっとコミュニケーションなごや

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障害を持った仲間が亡くなりました。

先日の昼前に訃報が届きました。 つい先日の日曜日に同一フロアの方を介助で部屋の前を通った時に救急車を呼ぶ連絡をされていましたがまさかの出来事でした。 病院に運ばれて翌々日の火曜日の19時過ぎに亡くなったようです。

ここのフロアには私の担当する喀痰吸引、いろうの医療ケアを必要とする高齢の男性と亡くなった50代の女性そしてとろみ食を必要とされる同年代位の男性の3人がいました。

とろみ食の方は数ヶ月前から入院されて不在中で、この方がなくなり寂しくなります。

この方とは20数年前に大曽根に開設されたパン作りの授産施設で出会ったようです。と言いますのは数年働いて退職して暫くたった3年前に同グループの訪問介護に入りました。

その方と会った時に昔一緒に販売に行ったと言われて分かりました。当時は多くの方と販売に行ってよほど特徴がないと記憶に残っていません。

同性介護が原則ですので男性の私が女性のその方を介護することはありませんが、移乗の時の万一の転落防止で呼ばれた事や談話室で休憩時に昔の事を話していた関係でした。

斎場に到着して写真を前にした時に何となく正月には自宅に帰りたかったのかな?と感じました。正月になれば他の家族の居る障害を持った仲間は帰宅しますが医療ケアを必要とする方はグループホームにいましたのでそう感じたのかも知れません。

別の方の葬儀では生前のメモリアル写真を上映していましたが、今回は30分程度で終わって別室でお茶の準備があるとのアナウンスがありました。

もしかしたらそこで思い出話しが出るのかもと思いましたが、何となく残り辛くて特に声もかからなかったので故人にそっと挨拶して帰りました。

斎場で懐かしい方とお2人とお会いしました。1人は男性で多分同世代か少し年上で20年前にパン作りの授産施設入った時の同僚で、3年前にグループの訪問介護に入った時にも各場研修でもお会いしました。 髪が白くなり歳を感じましたが面影ははっきり残っていました。

もう1人は子供さんが自分より少し歳下なので親位の女性で、帰りがけに名前を呼ばれました。見覚えはあるのですが名前が浮かばすに教えて貰って初めて分かりました、この方も髪が白くなり歳を感じました。

こういった場だからか時折お会いしている代表格の健常の男女の方もそれなりの歳ですが改めて見ると老けた感じを受けました。そう言っている自分も端から見ればお互い様だと思います(^-^)

話しは変わります。

最近不幸が続き若い方の葬式が続いて感じるのは「自分はどう生きて彼らと障害を持った彼らと関わるか?」です。

結論らしいものは出ています。 この先はどうなるか分かりませんが20年前に出会った彼らの生活を支援し続けることです。 肩ひじをはったりかと言って惰性で関わるのではなく、その時を大切にして時に流されるのではなく流れに乗って人生を生きる。 そんなふうに感じています。

前職のように歴史に残る建築物(の設備)造りに関わったり、大舞台に立って観客を相手にするのではなく、障害を持ちながら当たり前に生きる彼らを当たり前にサポートしていく。 彼らから言葉にして感謝されなくても粛々と地道に関わって生きていくこと

そんなことを思い感じました。